祝砲を合図に、王都はにわかに活気づいた。
メインストリートのひとつ、カルセット通りは屋台が並び、人が溢れかえっていた。通りの中央では年配の客を乗せた観光用の馬車が、ゆったりと歩を進めていく。
人込みの中から、ひとりの少女が顔を出した。
茶色い髪をバンダナと頭の後ろで束ねて、大きな青い瞳はきらきらと輝いていた。若草色のマントの下には、少女には不釣合いな短剣が見え隠れしている。
「ほら、シエテ。こっちこっち」
少女に手を引っ張られて、何とか人ごみから抜け出てきたのは、大きめの鞄を肩から下げたワンピース姿の女の子だった。
シエテがほっと息をつくと、人より長い耳が揺れた。その耳は、妖精(エルフ)の血が入っている証だ。
「ナイア、待って。後ろついてきてるかな……?」
シエテが後ろをみながら、バンダナを巻いた少女に呼びかける。
小柄なシエテに代わって、ナイアが背伸びをする。
背の高い黒髪の少年が、数人の女の子のグループに捕まっていた。すらりと長い手足が、この人込みの中でも十分に目を引く。
少年はナイアに目配せした後、
「ごめんね。連れが居るから」
そう言って、名残惜しそうにしている女の子たちを後にした。
駆け寄ってきた少年は、ナイアよりも頭一つ分は背が高かった。
中性的な顔立ちに翠色の瞳、祭りだからと変に浮かれてなく、落ち着いた雰囲気がある。下心を感じさせないところが、余計に女性の関心を引くのだろう。
ナイアは、肘で少年のわき腹つついた。
「ノウラってばモテモテじゃん。今ので二組目でしょ。気に入った子がいたら別行動とるから、いつでも言ってね」
「う……うーん。女の子にモテても……ね」
ノウラの気のない返事に、ナイアは首をかしげた。
「あ! もしかしてノウラも年上派? うん、ノウラならマダムキラーにもなれるって。頑張れ!」
そう言って、ナイアは額に手をあてて、きょろきょろと人ごみに視線を走らせる。まだ、足りない人がいるのだ。
ノウラは、そんなナイアに声をかける。
「そうじゃなくて僕は、」
「あっ! もう、また食べ物屋の前で引っかかってるっ。ここではまだ買わないよって言ったのに。あたし、ちょっと行って来るね。すぐに戻ってくるから」
ノウラが言い終わらないうちに、ナイアは駆け出していく。
茶色い頭は、すぐに人の波に埋もれて見えなくなった。
ノウラはため息をついて、
「……いつになったら、僕は女だって気づいてくれるんだい」
「ど、どんまい。だよ」
肩を落とすノウラをシエテが励ました。
すらっとした体つきの少年――もとい、少女は、悲しいほどに胸がなかった。
憂いを帯びた様子が余計に人をひきつけるのか、三組目の女子グループがノウラの方を見て話し合っている。どちらが先に声をかけるか相談しているようだ。
ノウラはもう一度、ため息をついた。
屋台を白い狼と浅黒い肌の少年が、覗き込んでいた。
肉や魚の香ばしい匂いに、白い狼の口から涎がこぼれる。
一人と一匹の周囲は、この混雑にもかかわらずぽっかりと空いていた。通りすぎる人が皆、白い狼を見ていく。いくら近くに森があっても、街中に出てくる狼など聞いたこともない。好奇と恐怖の入り混じった視線が、一人と一匹に集まっていた。
少年は串焼きをうっとりと見つめて、目を細めた。
「美味そうだなぁ、ミーシャ」
ミーシャと呼ばれた狼が元気よく咆える。手ぶらの少年に対して、狼は小さなリュックを背負っていた。
獣使いのロンド。はねた金髪からピンと伸びた耳は、エルフの証だ。肌には歴戦の勇者を思わせる傷跡が、無数についていた。
「困ったねぇ、これじゃあ商売にならないよ」
焼けた串を並べながら、店のおばさんがぼやいた。
狼が店の前にいるおかげで、客がよりつかないのだ。
そんなおばさんの嘆きは、エルフの長い耳には届いていないようで、ロンドは白い狼と楽しそうに話し合っていた。
「んー。右のが良いって? でも、これタレがかかってるんだ。ミーシャには濃すぎるんじゃないか?」
ロンドの言葉に答えるように白い狼が吼えると、その度に店のおばさんが身を縮めた。
「よっし、決めた! おばちゃん、この左端のを一本」
ロンドは、白い狼のリュックに手をやりながら注文する。財布は白い狼が預かっているのだ。
しかし、屋台のおばさんはロンドと目を合わせようとしない。
「いやだねぇ。餌をあげたらどっか言ってくれるかしら……。でもそのままいつかれたら困るし」
「だから一本買って移動するからさ。……えっと、おねえさん」
ロンドはにっこりと笑って、言い直した。
人間の女性というのは、若く見られるのを喜ばれる傾向がある。無視されたのは、おばちゃんと呼んだのが悪かったのだろう。
しかし、注文は、またも無視された。
「鞄があるから、どっかの飼い犬なんだろうけどねぇ。まったく、飼い主の常識を疑うよ。犬だけほっぽって置くなんて」
ロンドの顔から笑顔が消えた。
リュックを開けようとしていた指を離して、代わりに白い毛並みをなでた。白い狼が、ロンドに向けて一声鳴いた。
「……ミーシャは優しいな」
ロンドを慰めるための鳴き声に、店のおばさんは顔を青くすると、警備は何をしてるのかしら、と大きな声で独り言を続けた。
「慣れたつもりだったけどさ。やっぱ、少し寂しいな」
悲しそうに、ロンドは目を伏せた。
ロンドの声も、姿も、店のおばさんには見えていないのだ。
幽霊の獣使いロンド。
彼の元の体はレギオン怪物との戦いで失われ、今は供に居る狼のミーシャを守護する【共在魂(ゼエレ)】としてこの世に留まっていた。
霊魂を感じたり、見ることのできる人間はそれなりにいるが、まったく見えない人も多くいる。だから、ロンドは荷物を白い狼に預け、自分では持たないようにしていた。悪戯に騒がれるのは好きではない。
通りの方から足音が近づく。誰かが、警備を呼んだのだろう。
「……これだから人の居るところは、ね」
諦めに似た調子でロンドはつぶやくと、狼を追い立てようとする野太い声に備えた。
警備の人間に自分の姿が見えるといいが……。
聞こえてきたのは元気の良い少女の声だった。
「ちょっと、ロンド! 店の前に座り込んでないでよ、迷惑になってるじゃない。パレードが始まる前に良い場所をとるんだからね。アンタが見てみたいって言ったんでしょ」
ロンドと白い狼は顔を上げた。
ナイアが片手を腰において、立っていた。走って来たようで、赤いバンダナを巻いてる額にうっすらと汗を掻いている。
その空色の瞳は、実体のないはずの少年の姿を映していた。
「いやさ。ミーシャが喰いたいって言って動かねーんだよ」
ロンドが嬉しそうに説明する。叱ったにも関わらずにやけている幽霊に、ナイアは嫌そうに眉をよせた。
「えーっ。ペット同伴OKで美味しい店考えてあるのに。そんなに食べたいの?」
白い狼は元気良く咆えた。石畳はヨダレで濡れている。
「しょうがないなぁ。とりあえず立替とくから後で払ってよね。おばさん、適当に薄味のお肉をひとつ」
観念したように言うと、ナイアは財布から銅貨を取り出してロンドの代わりに注文する。
肉を櫛からバラす間もなく、白い狼は齧り付いた。
指まで咥えられる寸前で、ナイアは逃げるように串焼きから手を離した。顔が真っ青だ。ガイスト候補生として、レギオン怪物と戦ったことがあっても、大きな獣が怖いらしい。
「ミーシャが、ありがとう、だってさ」
そんなナイアの様子に、幽霊の少年は笑いながら言った。
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≪To be continued.≫
レギオン災害と呼ばれる事象がある。
地震や風雪水害とは種類を異にするそれは、有り体に言えば怪物の横行だった。
異形の怪物レギオンが生み出す破壊と殺戮。
レギオンはゲートと呼ばれる『揺らぎ』より発生し、周囲を蹂躙しつくしては、
現れた時と同じようにまた何処かへと消えていった。
繁殖するでもなく、移動するでもなく、
この世に生まれてから破壊のみを繰り返し、消えゆく存在。
その正体は人の負の念が集まった悪霊であるとか、意思の無い妖物であるとか、
様々な見解があるものの、依然明らかになっていない。
分っているのは悪霊という説が上がるよう、物理的な接触が困難であることと、
ゲート、そしてレギオンを滅ぼすことが出来るのは、
『共在魂(ゼエレ)』と呼ばれる特殊な力を行使する人間達、『ガイスト』だけであるということ。
共在魂(ゼエレ)。
文字通りの、「共」に「在」る「魂」。
既に肉体を失った者の魂、または天使、悪魔、精霊、
意志持つまでに永き時を経た武具など、人に在らざる魂。
そして、共在魂(ゼエレ)を見、或いは言葉を交わし、或いは気に入られた、共に在る者達、ガイスト。
古びた剣一本で立ち向かう戦士。
天使の加護で奇蹟を行使する聖職者。
悪魔と契約し力得た魔術師。
精霊と契約しその力を借りて戦う精霊使い。
人に在らざるモノの力を手に、彼等は厄災を払い続ける。
復讐のため、名誉のため、富のため……そして、各々が守るべき何かのために。
夜も更けてなお、王都は祭りの熱が冷めやることはない。たった一日の英雄祭ではあるが、前日は前夜祭が、今夜は後夜祭が行われている。むしろこれからが本番とばかりに盛り上がる者たちも少なくないことだろう。
そして、それは郊外の宿も例外ではない。
『望壁亭』は王都の西門から伸びる街道沿いにある宿の一つで、英雄祭が近づけば多くの宿泊客で一杯になる。
酒場になっている一階は祭りの余韻冷めやらぬ大人たちで賑わっていて、稀に見る盛況ぶりだった。
多少騒がしすぎる感もあるが、この日ばかりは酒場のマスターも文句を言うような野暮はしない。
なにせ、今日は英雄祭。かつて人々を絶望から救い上げた英雄王、フォニウスの恩恵を受け、一年間の間でも類を見ない売り上げの出る日なのである。
カウンターの内側から、客で溢れる店内を眺めて笑みを浮かべ、マスターはカウンター席を見やった。
一人客は少ないのか、そこは店内では珍しくがらがらに空いていた。
ただ、その一番端、店内でも隅のほうになる場所で、一人の女性がグラスを傾けていた。
横目で彼女を眺めながら、マスターは数度、手に持った洗ったばかりのグラスを乾いた布で拭き、摩擦音を鳴らす。
それに気付いたのか、女性はマスターのほうを向いて薄く微笑んでは、空になったグラスを振って見せた。
「お客さんは、お一人で英雄祭見物ですか?」
彼女が先ほど注文した銘柄と同じブランデーのボトルを取り出しながら、マスターは女性に声をかける。
「ん、ああ。まあ、そんなところさ」
「あまりこの辺じゃ見ない衣装ですけども、旅の方で? 英雄祭の騒ぎっぷりにさぞ驚かれたことでしょう」
女性が傾けたグラスにブランデーを注ぎながら、マスターも祭りの雰囲気に宛てられてか、幾分か饒舌なようだった。
「……ああ、まあね」
ありがとう、と、グラスを手元に寄せながら言葉少なに女性は返した。
女性一人で祭り見物、いろいろと邪推できることはあるけれども、酒の肴には旨いものでもないだろうとマスターはそれ以上に何か問いかけることはなかった。
不意に入り口がゆっくりと開き、一人の金髪の男が入ってくる。
入り口付近の客はその姿にちらりと視線をやるも、すぐに自分たちが話していたことの内容のつづきにと意識を戻す。
カウンター間近まで歩き、土埃に汚れた白いコートを脱いで小脇に抱えながら、男は前髪を跳ね上げるように手で掬って大きくため息を吐いた。
「ああ、やっと着いた。この辺、宿多すぎだろう。看板見上げすぎで首が痛い」
三十台後半といったところだろうか。明るい金色の髪は耳を覆う程度の長さがあり、男の動きに合わせやわらかく揺れる。
一見して緩い印象を受けるのはにやけた口元の所為だろうか。蒼い瞳そのものは切れ長で、笑っていなければ人によっては冷たい印象を与えるかもしれない。
「すまないが、部屋はもう一杯で……」
男の物言いからマスターは宿を探してきた旅人だと思ったのだろう、バツが悪そうに切り出した。
「そりゃそうだろう、フェンネス=プロミナードの名前で押さえてある部屋以外は空いてないはずだ。まさか、予約は間に合ってないのか?」
「ああ、あんたがプロミナードさんか。確かに、ちゃんと部屋はとってあるよ。使いだって人から前金も貰ってる」
「ふーぅ。安心した。ここまできて野宿も寂しすぎる。……安心したら喉が渇いたな。麦酒をくれ。あと適当になにかアテになるものを」
大きくため息を吐き、荷物を足元に置いてカウンター席に腰掛けるフェンネスの目の前に冷えた麦酒が置かれる。
フェンネスはジョッキを掴むと、その半分ほどを一気に呷った。
「ッ、ぷはーっ。ああ、美味い。いや、しかしすごい賑わいようだなぁ。さすが英雄祭ともなると、前日からこの騒ぎか」
店内を肩越しに眺めながらつぶやくフェンネスの前にボイルソーセージが置かれる。それを置いたマスターのほうは、数度瞬いて肩を竦めた。
「なに言ってるんだ? あんた。英雄祭当日だよ、今日は」
「はぇ? ……え、ホントにか?」
マスターの言葉にフェンネスは口に運びかけたソーセージを皿に戻した。そして口を半開きにしたままの顔で問い返す。
「そりゃ、明日も英雄祭ならこっちとしちゃ願ったりだがね」
今度は両手を肩の高さまで掲げ、わざとおどけた風で肩を大げさに竦めて見せた。
「あ、っちゃあ」
肩肘を突いて額を押さえ、心底参ったという風にフェンネスがため息を吐く。その様子を一番端のカウンター席から見ていた女性が、唐突に笑い声を上げた。
「っく、は。あははははははっ」
「……そう笑われると傷つくんだけどねぇ」
苦笑を浮かべながらにフェンネスは声の主である女性のほうにと視線を向ける。
彼女が笑みを堪えるようにして肩を揺らすたび、その黒髪が店内の明かりを映しながらに揺れる。
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ぞくり、と、背筋が震える。
目覚めてなお、悪夢の中に居るような感覚。
(この気配は―――)
ゆるゆると覚醒していく意識に拍車をかけようと、一度大きく深呼吸をする。そうして手早く外に出る準備をして、長旅からかずいぶんと草臥れた外套を羽織りローズは自分の部屋から出た。
足早に階段を降り、だんだんとはっきり聞こえるようになる階下の喧騒にわずか眉をひそ顰める。
嫌な気配は消えない。
一階の酒場へと入れば、一度ここから離れた時から変わらない客の数と騒ぎようが目に入る。
ローズがちらりと酒場のマスターに視線をやれば、向こうは彼女が再度降りてくるとは思っていなかったのだろう、驚いたような風を一瞬見せ、すぐ表情を戻した。
続けて、カウンター席に視線を遣る。
フェンネスが、記憶の最後に残っている姿と同じ格好でカウンターに身体を預けて眠っていた。
変わらず、悪夢の気配は消えないが、僅かに緊張が緩むのをローズは感じた。
けれどそれをきひ忌避するように視線を外し、外套の裾を揺らしながら彼女は宿から出て行く。
幼いころから見知った気配。
忘れることなどあるはずもない、忌々しい気配。
それは、絶望の気配だった。
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≪To be continued.≫