アカイトリ

2004/12/30 発行
白壁山奇譚 著者: 紅
妖精と魔法使いと旅人と 著者: 酉

白壁山奇譚  著者: 紅


 白壁山という山がある。夏でも山頂付近には雪が残り、冬ともなれば吹雪に閉ざされ、山を越えようとする者もいない。
 吹雪に閉ざされるその山を、山と共に生きるふもとの人々は「白い壁」と呼び、畏れ、敬っていた。

 ある冬。無謀にも山を越えようとする若者の姿があった。
 よそ者ではない。何代もふもとに住み、山の恐ろしさを教えられて育ったはずの若者だった。
 そんな若者が、なぜ死の危機を犯してまで冬の白壁山を越えようとするのか?
 少なくとも、同年代の若者に見られる愚かな勇気ではないのは確かだろう。彼の鬼気迫る表情と、その目に宿る、何かを真っ直ぐに目指す想いがそれを物語っていた。
 吹雪の合間。山陰に明かりを見たような気がした。
(こんな所に人が住むのか? ……少なくとも、あそこに行けば夜は越せるはず)
 身を裂くような風雪に弱りきった心身に、わずかな希望が生まれる。
 吹雪の合間を見え隠れするその明かりに、一歩一歩近づく若者。
 その心中に、明かりが幻だったら……などという考えは不思議と浮かぶことはなかった。

 どれだけ歩いたろうか。既に時間の感覚はなかったが、若者の眼前には明かりのともった小屋、その扉があるのは確かだった。
 扉を叩くが、返答がない。無理もないだろう。この吹雪では室内でもその風音にかき消されて扉をたたく音を聞き分けるのも難しいだろうから。
 再度、扉を叩く。今度は先ほどよりも力を込めてみた。
 しかし、返答はない。みたび扉を叩こうと手を挙げる。
 軽く拳を作ったその手が扉に触れる前に、簡素な木の板は軋んだ音を立てて内側に開く。室内の暖気が若者の頬をなでた。久しく触れていない気さえする、暖かな明かり。
「何じゃ、このような夜更けに……」
 顔を出したのは、頭頂部がはげ上がり、その代りということはないだろうが立派な白い髭をたくわえた老人だった。
「夜分遅くに申し訳ありません。見ての通り吹雪かれてしまいまして……もし、ご迷惑でなければ一夜の宿をお借りしたいのですが」
 まるでここが冬の山であるということを感じさせないような会話の後、老人は若者を一瞥して室内へと招き入れた。
 暖かな飲み物と毛布をあてがわれた若者の横、安楽椅子に腰掛けた老人はものめずらしそうに若者を眺め、ときおりぶつぶつと言葉を漏らす。
「なるほどなるほど……この吹雪の中を……どうした事か……ふむ、なるほどなるほど」
 ひとしきりつぶやくと、まどろみの中にいる青年を暖かな部屋へと引き戻す。
「お前さん、この時期に一体どういうことじゃね? 地元の人間はこの時期、山へ近づかぬだろうに」
 突然我に帰された若者は眠い頭を振り、老人の質問に答える。
「先祖の、墓参りに……山向こうの村まで。……この時期じゃないといけないんですよ。祖母の遺言でね」
「ほうほう、村? 村とな? わしも昔はその村に住んでおったのよ」
 もう何十年も前の事じゃがな、と付け加え、老人は自分がこのような所に住むようになったいきさつをぽつり、ぽつりと話しはじめた。
 その話はこうだ──

 今若者の前にいる老人、彼は村の中では平凡な男の一人だった。平凡な仕事に就き、人並みに結婚をする。妻がまだ若くして他界すると、まだ幼い一人娘を──遅くにできた子であったから、なおのこと──可愛がった。
 そんな娘も年頃になると、親のひいき目を差し引いても美しく成長し、村の若者たちはこぞって彼女に求婚するようになった。それを受け入れる事はなかったが。
「だって、私がお嫁に行ったらお父さん寂しいでしょう?」
 優しい娘だった。
 そんな娘もやがて恋に落ちる。相手は山向こうの町、その領主の息子。彼はふたりの結婚を許さなかった。身分が違いすぎる。娘が要らぬ苦労を強いられる事になるかもしれない。そんな気持ちからだった。
 愛し合う二人は、毎日のように彼を説得に訪れた。
「お父さん、お父さんも町に行って一緒に暮らしましょうよ。私は大丈夫。お父さんに居て欲しいの」
「彼女を幸せにします。苦労はさせません」
 が、彼がそれを受け入れる事はなかった。
 ある冬の日、いつものように帰宅した彼が目にしたのは一通の置き手紙だった。
 ──お父さん、ごめんなさい。許してもらえないのは辛いけれど、彼を愛しているのです。私は彼と山を越えて、町へ行きます。……もし、許してくれるのなら、遊びに来てくださいね。また、一緒に暮らせる事を願っています。 娘より──
 この季節に、山を越えようとして無事で済むはずがない。いくら若いとはいえ、女性の体力では山腹でのたれ死ぬのが関の山だろう。
 彼は嘆いた。なぜ、かたくなに許さなかったのか? 娘をそこまで追い詰めてしまったことに後悔した。
 夜毎耳に届く山からの吹雪、その音が自分を責める娘の無念の声に聞こえた。
 そして彼は山に登った。娘を、そして娘が愛した男を弔うために。また、同じような若者たち──この先そのような事があれば、だが──の助けになれればと、小屋を建てて住み続けている。その時から、今にいたるまで。

 ──老人は話し終わると、陶製のカップに注がれた暖かな、けれど冷めかけた飲み物を一気に飲み干す。
「……まあ、何十年もここに居るが、お前さんが初めての客じゃよ」
 そう言って呵呵と笑う。それがいい、娘たちのような思いをする者などいなくていい。そう言いたげな笑い声だった。
「そう、ですか──そんな理由が……」
 若者は老人の手にある物と同じ陶製のカップを両手で包み、ひざの上に置いたそれを揺らしている。表情には神妙さがあった。
「まあ、昔の話じゃよ。……娘は、まだワシを恨んで彷徨っておるかの……」
 沈黙が暖かな空気と混ざり、聞こえるのは外の吹雪だけだった。
「もう、夜も遅い。寝るとしようか」
 老人の言葉に、明かりを消して二人は眠りにつく。簡素な暖炉の薪がはぜる音。そして外では変わらずに吹雪が続いていた。

 翌朝、朝食をご馳走になった若者は昼を待たずに出発することにした。
 外は昨夜とうって変わって雲一つない晴天だった。風は冷たい。しかし、穏やかだった。
「墓が、見付かるとよいな」
 そう言って笑みを浮かべる老人に、しかし若者はどこか悲しげな笑みで応える。
「いえ、もう見つかったので。吹雪かないうちに帰りますよ」
「おお、そうかそうか……それはよかった。ときに、君の名を聞いていなかった気がするが、差し支えなければ教えてはくれぬか?」
 若者はうなずくと、自分の名を告げる。
「……聞いたような名じゃな。はて、とんと思い出せんが、懐かしいような気もするぞ」
 必死に思い出そうとする老人に、若者が声をかける。
「昔の知り合いではないですか? 祖母が、父の名を取って付けてくれたので。……祖母は村の出身でしたから」
「おお、そうか! ならそうかも知れんなぁ。まあ、気を付けなされ。吹雪かぬうちにな」
 若者は心からの礼を言うと、ゆっくりと街の方へと向く。
 途中で振り返ると、自分を見送る老人に一言、声をかけた。
「昨夜の話の娘さん、彼女はあなたを恨んでなんかいませんでしたよ」
 そして、再び帰途へ着く。
「そうか、恨んではいなかったか……」
 老人の、しわに埋もれそうな瞳から一筋の涙がこぼれた。
 若者の背後から、風が何かの香りを運ぶ。振り返ると、そこには先ほどまでの小屋は跡形もなく、代わりに雪山には不釣り合いな一面の花。
 優しげな微笑みを浮かべた領主の跡取りは、ゆっくりと町への道を進む。自分と同じ名の老人のことを胸に秘めて。


おわり


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妖精と魔法使いと旅人と  著者: 酉


 年老いた魔法使いはランプに火を灯すと、天井にかけた。
 椅子が軋んだ音をたて、紙が擦り切れるまで読んだ書物を開く。
 時折自前のひげが本に挟まらないよう気を配りながら、魔法使いは頁をめくった。
 静かな時間が過ぎていく、湯気を立てたお茶は次第に冷めていった。
 しわだらけの手が湯のみに触れ、ようやく魔法使いは時間の流れを感じた。
 ため息一つ。魔法使いは老眼鏡を外すと目頭を押さえた。
 風が窓をカタカタと鳴らす。
「やかましいのがおらんのも、寂しいものじゃの」
 窓に作った小さい小窓に目をやり、つぶやく。
 それは猫が通るには小さすぎて、さらに小指の爪ほどの小さな鍵がついていた。
 小さな来訪者がいつ来ても良いようにと、昔自分で取り付けたものだった。
――じっじー、この部屋かび臭いぞぉーっ。
 そんな事を言いながら、あの子はよく魔法使いを部屋から連れ出したものだった。
 本を開いたままにして、魔法使いは新しいお茶を煎れようと腰をあげた。
 小さい家は本で埋もれていたが、唯一来客を迎えるためのテーブルの上だけは片付いていた。
 前にここに人が座ったのは、何年前だったろうか。

――村で物知りだとお聞きまして。お話を伺っても宜しいでしょうか?

 礼儀正しい若者だった。
 異国を巡る旅をしながら、書紀として地方の伝統などをまとめているという。
 わしは知っている限りの事を、話して聞かせた。

 今はあの子と一緒に異国の空の下を旅しているだろう。
 多少口うるさいが、妖精は幸運も招くと言う。
 そう悪いことにはなるまい。
 ストーブの上に置かれたヤカンから急須へと熱い湯が注がれる。
 ほどなくして芳醇な香りが部屋を漂い始めた。
 窓が先ほどより強い音で鳴った。
「今夜は嵐かの」
 一息お茶に吹きかけ、年老いた魔法使いはお茶をすすった。
 外で何かが光った。
 遅れて、大地を揺るがす凄まじい音が響く。
 雷なら珍しいことでもないが……外を見た魔法使いは目を見張った。
 橙色の炎が木々の隙間で小さく踊っていた。
「いかん。あそこはあの子の――――」
 年老いた魔法使いは見かけより機敏に動くと、入り口に立てかけてある樫の木の杖を手にし、小屋を出た。
 雷と風が猛る中、魔法使いは火の元へと急いだ。

***

 パチパチ。
 火の粉が次々と花を燃やしていた。
 黒コゲの幹の周囲から炎が昇ると、小さな花畑に襲い掛かっていた。
 年老いた魔法使いは花畑に踏み込むと、雨が降る様必死に祈りを捧げた。
 強風が火を大火へと育て上げていく。
 しわの寄った額から汗が伝う。それは空を舞う煤(すす)が顔を汚したせいで、黒い筋を残した。
 煙が立ちこめるのも構わず、魔法使いは祈りつづけた。
 煙を吸って咳き込む。
 年老いた魔法使いは、咳が止まらず苦しげにうずくまった。

――じっじー。ほら、花のひげ飾りーっ。アハハ。

 ここはあの子が好きな場所、そして年老いた魔法使いの大切な場所でもあった。
 火の粉が魔法使いのマントを焦がす。雨は降りそうに無かった。
 酸欠から頭の中が真っ黒に塗りつぶされても、魔法使いは祈るのを止めなかった。

――じっじーっ。

 しわがれた手から杖落ち、そのしわだらけの目が閉じられた。

***

 しゃんしゃん。
 ヤカンが騒がしく蒸気を吹き上げていた。
 ああ、火から降ろさんと……と、年老いた魔法使いはしわに隠れた目を開けた。
「じっじーっ!!」
 妖精はすぐさま、その高い鼻に飛び込んだ。
「ばかばかばかばかっ」
 そのまましわだらけの額を叩く。
「こ、これよさんか」
 魔法使いは妖精を掴みあげる。
 妖精はボロボロ涙を零し、声をあげて泣き喚いた。
「――? なぜお前がここにおる。旅はどうした」
 魔法使いの疑問は、若々しい声が答えた。
「三年のお約束だったでしょう? 少し早く着いていて良かった。喉に痛いところなどは?」
 薬湯の独特のエグイ香りが漂う湯のみを差し出し、若者は告げた。

 妖精が旅人に着いて行きたいと訴えた時、魔法使いは三年後に戻ってくることを条件に送り出した。
 その約束を旅人は守った。正確には、一ヶ月近く早い。
「予定より早く着いたのは、この事を予知されていたのかもしれませんね」

 雷が落ちたとき、妖精は若者のフードから飛び出した。
 風をものともせず魔法使いの小屋に着くと、そこには煎れたばかりのお茶が湯気をあげているだけだった。
 すぐさま辺りを飛び回り、火災とそこに倒れる魔法使いを見つけ、いち早く旅人を呼んだのだ。
「そうか……こんな老いぼれをありがとう。しかしまさか、お前に命を助けられるとは」
 魔法使いは若者に礼を言い、妖精には驚きの目を向ける。
「じっじー。花なんてまた植えたら良いんだよーっ。珍しい植物の種だって、いっぱいいっぱいお土産に持って来たんだからっ」
 そう言って妖精は若者の服に飛び込むと、皮袋を抱えて顔を出した。
 年老いた魔法使いが花を好むと知っていたので、お土産にと行く先々で集めたものだった。
「そうじゃな……。聞かせてくれんか。二人がどんな旅をしたのか」
『もちろん』
 長い旅から戻った二人は、元気そうな魔法使いに安心し、にこやかに笑った。

***

 翌日、誰よりも早起きした魔法使いは二人を起さないよう気を配り、花畑を見に行った。
 炎が静まった花畑は土と灰が積もるだけだった。
 燃えてしまった花も、後の良い肥料になる。
 そして、燃えなかった石が花畑だった場所には残されていた。
 灰の積もる墓碑を魔法使いは手で払った。

――じっじー。

 そう呼んでくれた幼い子供との思い出が蘇る。
 墓に添えた花がいつしか花畑となって、一人の妖精がその花畑に姿を見せるようになった。
 幼くして死んだ子供は、時に妖精になるという。
 この花畑がある限り、あの子は旅先でも無事であると魔法使いは信じていた。
 だからこの花畑が失えばあの子も居なくなってしまう、そんな不安に駆られた。
 しかし、もうあの子はこの花畑に縛られてなどいない。
 あの子の集めた花の種をこの地に蒔けば、さぞ美しい花が咲くことだろう。
「わしはそれを見守ることにしようかの」

 一週間がすぎて、年老いた魔法使いは二人を見送った。
 そのしわだらけの手には、旅人と妖精が作った――まだ未完だったが――書紀の写しがあった。
「じっじーっ。また三年後に会おうなーっ」
 妖精は旅人の頭の上で小さい腕を力いっぱい振りまわした。
「ふぉふぉふぉ。孫を頼んじゃぞ」
 若者に聞こえたかどうかはわからないが、魔法使いは満足げに小屋に戻った。


 ……翌年、花粉症への対処の仕方を調べる年老いた魔法使いの姿があった。


おわり


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